YouTube「欽ちゃん80歳の挑戦!」で小堺一機や関根勤とコラボも
萩本欽一 コメディアン
数々の冠番組をヒットに導き、「視聴率100%男」の異名をとった萩本欽一さん。活躍の場はテレビにとどまらず、64歳で社会人野球チームの監督を務めたり、73歳で大学に入学したりと、年齢にとらわれない挑戦が注目を集めてきた。しかし昨年80歳を迎え、大きな壁にぶつかったそうで──(構成=平林理恵 撮影=洞澤佐智子)
https://fujinkoron.jp/articles/-/5769
50代で合格しても、誰も面白がらない
「おまえは才能がない。やめるなら早いほうがいいぞ」と演出家の先生から言われたのは、コメディアンの修業を始めて間もない頃です。まあ、自分でも薄々気づいていたこともあって、この言葉にすごい納得しちゃったのね。それで才能のない人間なりの闘い方を探し始めた。
大勢で同じスタートラインに立って「ヨーイドン」をすると、絶対に負けると思ったから、競争相手ができるだけ少ないところ、できれば誰もいないところへ出ていこう、と。それなら僕でも一番になれちゃうじゃない。
64歳で社会人野球チームをつくって監督になったのも、コメディアンで野球の監督をやっている人がいなかったからです。僕は試合の采配は経験がないけど、エンターテインメントならできる。
考えてみれば、勝ち負けじゃなく、お客さんを楽しませるための野球の演出って、これまで誰もやってこなかったこと。だったら挑戦するしかないよね。そのうち、お客さんの「欽ちゃんの野球って面白い」という口コミが広まって、多くの人が球場に足を運んでくれるようになりました。
そして73歳のときには大学を受験。実は、きっかけは40歳の頃、冠番組の視聴率が下がるとともに、自分には語彙が足りないと感じることが増えたんです。お客さんが20代から30代、40代と成長していくのに合わせて、僕も豊かな言葉を得て変わっていかないと、誰も欽ちゃんを必要としてくれなくなっちゃう、と気づいたの。だから、予備校に通って日本史と英語と国語の勉強を始めました。
しばらくしたら、先生から「そこそこの大学なら合格できるから、入学試験を受けてみたら」と言われてね。でも、そんな簡単に入れるなら面白くないじゃない。しかも、「欽ちゃんだったら、試験を受けなくても入れてくれるところはある」と聞いて、そんなの挑戦じゃないよな、と。大学には興味があったけれど、そのときは勉強さえできればよかったから先送りにしたんです。
73歳のときに大学入試に挑戦
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引用元: ・【芸能】 萩本欽一 80代、妻を亡くし、体は動かず…。『全日本仮装大賞』と『ラジオ深夜便』を手放したのは、新しい挑戦のため [朝一から閉店までφ★]
駒大中退したのもそれが理由かね?
僧籍取って法話してもらいたかったわ
去年いきなり引退宣言して今年は放送がなかった
売れない欽ちゃん支えた奥さん
売れても一途に
支えてくれた彼女を嫁にした欽ちゃん
結婚したら一切メディアに出ることなく
内助の功で支えた奥さん
いい夫婦だよな
関東お笑いの大御所だからな欽ちゃんといかりや
香取慎吾単独の司会で放送したことあったっけ?
欽ちゃんが駆け出しで食えないペーペーの時に面倒を見てくれた同じストリップ劇場の踊り子さんだった
子供ができたけど欽ちゃんが売れっ子になったら
自分の経歴が欽ちゃんの邪魔になるといけないからと
身を引こうとしたけど欽ちゃんは探し出して最後まで添い遂げた
NHKでもドラマ化されてて見たら面白かった
毒のある笑いなんてその場だけのもので後に残りはしない
全盛期の8時だヨとひょうきん族の戦いだよな。
俺も若いころは8時かきん族かで意見わかれたよなw